永遠の二枚目 市川雷蔵伝説
映画俳優、市川雷蔵を大きく飛躍させたのが、初の現代劇映画、市川崑監督の『炎上』だった。
複雑な家庭環境と吃音という事情を抱えた青年(雷蔵)が寺の徒弟として暮らしながら、葛藤の末についに寺に放火する。原作は三島由紀夫の『金閣寺』である。
私は本作の美術を担当した西岡善信さんに、映画化はとても大変だったと聞いたことがある。小説の観念的な部分の脚本化の難しさや、予算の問題。さらに仏教界から映画化を猛反対された(映画の寺の名前は驟閣寺になった)。困り果てた監督は別の会社で撮ろうと決意して、玄関を出たとき、大映の企画書が郵便受けに届いていて、思いとどまった逸話があるという。
二枚目とはかけ離れた役を演じることを止めようとしたスタッフも多かったが、雷蔵は一度決めたら動かない。デビュー当時から雷蔵を知る西岡さんの見方では、雷蔵の中には華やかなスターの芝居だけでなく、業を抱えた人間を本格的に演じたい、俳優として演技の幅を広げたいという気持ちが常にあったはずだという。
クライマックスはタイトル通りの炎上シーン。河原に2分の1サイズの寺の精巧なセットを組み、おがくずをつめて燃やすとパチパチとよく燃えて、名キャメラマンの宮川一夫も「ええなあ」と言っていたが、おがくずは燃えるのが早すぎて感光せず、フィルムに映らない。スタッフは苦心の末に原作に炎上の様子が「金砂子を撒き散らしたようだ」とあることから、黒い幕を張り、すだれの上に金粉を置いて、下から扇風機で風を送った。そこに照明を当てると。キラキラと光り続けた。モノクロなのに赤い火の粉が見えるようだ。
この映像美と雷蔵の演技が高く評価され、「第32回キネマ旬報主演男優賞」などを受賞。雷蔵の代表作となった。苦悩に顔をゆがめ、みじめに野良犬と繁華街の路地をとぼとぼ歩く。今、見ても「これが『狸御殿』や『濡髪シリーズ』のお陽気なスター?」と思えるほどに雷蔵の顔は暗い。
幼くして歌舞伎界に養子に出されながら、映画界に入ったことから、胸の中に深い屈折を抱えていたとも言われる。「炎上」で「誰もわかってくれへんのや」と言った雷蔵はどんな気持ちだったのか。名優の違う「顔」を見た思いがする名作だ。(時代劇研究家・ペリー荻野)
■市川雷蔵(いちかわ・らいぞう) 俳優。1931年8月29日生まれ、京都市出身。生後6カ月で三代目市川九團次の養子となり、15歳で市川莚蔵を名乗り初舞台。51年に三代目市川壽海の養子となり八代目市川雷蔵を襲名するも、54年に映画俳優に転身、以後大映のスターとして活躍。69年7月17日、37歳で死去。